Pura Ulun Danu Batur
ウルン ダヌ バトゥール寺院
ウルン・ダヌ・バトゥール寺院は景勝地として有名なキンタマーニ高原、バトゥール山のクレーターを見下ろす、バトゥール村にある。
ウルン・ダヌ・バトゥール寺院は、バトゥール湖の守護神イダ・バタリ・デウィ・ウルン・ダヌを祀っている。デウィ・ウルン・ダヌは水利を司る女神といわれている。
11世紀に、王として君臨していたデットヤ・ジャヤ・バングスjaya bangus 。彼は妻のデウィ・ダヌDewi Danuと息子マヤ・デナワMaya Denawaと一緒に暮らしていた。そこへ中国から渡バリしてきた高僧リムとその女弟子カン・テン・ウィの二人が王のもとを訪れ、王と意気投合した二人は長年バリに住むことになる。年月が過ぎ、老いを感じてきた王は、息子に王座を譲った。しかし、この息子は仏教の悪い教えばかりを説いたブッダ・ヒナヤナを支持したため、社会が乱れることを懸念した王は息子を自分の領地から追放した。追放された息子は南部へ行くと自分の城を築き、ブッダ・ヒナヤナを信仰した。息子の勢力は年を増すごとに拡大し、とうとう父親の領土まで奪い取ってしまう。母親はこの件で心労のため病死。この後、王は密かに恋心を抱いていた高僧の女弟子カン・テン・ウィと再婚した。3人(デットヤ・ジャヤ・バングス・高僧リム・カン・テン・ウィ)は追われるようにバトゥール山へ移り住んだ。しかし、なかなか子供に恵まなかったカンは、この地に寺を建立しブッダの祠も一緒に建ててほしいと王に懇願した。そうして、できた寺院である。
もともとバトゥール村は、バトゥール山の南側の麓にあり、バトゥールの寺院は村から見て神聖な方角だとされる北東側にあった。1917年と1926年の二度にわたり起きたバトゥール山の大噴火で、この寺院は大きな被害を受けた。溶岩は寺院には至らなかったものの、社は火山灰に埋もれてしまった。
1926年、村の寺院をバトゥール湖畔からクレーターの外輪の現在の位置に移すことが決まり、オランダ植民地政府の協力を得て村人たちは社を移設し、村ごと移動し現在のバトゥール寺院ができた。
寺が大きくなった今も、ヒンドゥー・ブッダの寺として多くのヒンドゥー教徒が訪れる有名な寺だ。今は、豊穣の神として崇められている。ウルン・ダヌとは、湖の頂という意味だが、以前の場所が村から見て太陽が昇る方角であったことから、この名前が付けられた。
迫力のある炎の形をした門があり、塔や建物の配置はマンダラを模してる。かなりの高地にあるこの寺院は〝雲上の寺院〟と呼ばれている。9つ以上の寺院からなる複合寺院。多くの幾層ものメル(塔)を持ち、霧の中に佇むその姿はとても神秘的だ。この湖は、スバックsubakという組織によって管理される灌漑水道を通じて、バンリ、クルンクン、ギャニャール一帯の水田に水を供給する水源であり、その地域の村人たちもこの寺院に参拝に訪れる。バトゥール湖の南側には聖なる水の湧き出す泉があり、そこへ聖水を汲みに来る人々も絶えない。毎年10月頃に行われる満月祭は盛大で、多くの人が訪れる。
アクセス
空港から車で2時間
料金
お布施
サロンが必要(長ズボンなら不必要)
注意事項
寺院入り口の割れ門前で村の女性達が、参拝用の帯とサロンを無理やり着けて高い金額を言う。サロンを持っていないなら必要であるが、先に料金交渉をしてから帯とサロンを着けて貰おう。Rp.1000ぐらいが妥当な料金。高地につき天気によっては非常に寒いので上着を忘れず持っていくように。とても雨が降りやすい地域、レインコートや傘を持って行くように。